大雑把な世界(2015年2月11日建国記念の日) - 2015.02.20 Fri
昨年末の話。
年末年始作業ということで、僕は毎日現場に行っていました。
ある朝、長女が玄関で僕に話しかけてきました。
娘「最近はどういう作業してるの?」
父「昨日、画像で見せたでしょ」
(毎日というわけではないけど、作業の進捗状況の写真は家族に見せている)
娘「あ、そうだった。うーんと、うーんと・・・。そうだ、ドアのレールを作ってるんだよね??」
父「orz」
ふーん。
ドアのレールねえ・・・。
こういうことか・・・。
あの、すんません。
「襖の敷居」って言ってもらっていいですか??
プラトン著の『クラテュロス』における「名前の正しさ」にあるとおり、名前が違うのは機能や性質が違うからです。
名前を大雑把に捉えるということは、つまりは「機能や性質の違い」に意識を向けないということです。
なんか、最近は特にこういう大雑把な世界に生きている人が多くて、心配になります。
僕も数日前の記事で使いましたが若者が使う「やばい」という言葉、あれは万能すぎてやばいですね(笑)
あの言葉を多用していれば、会話が事足りてしまうので、語彙がどんどん少なくなってやばいです。
最近どこかラジオのCMでやっていた気がするけど、日本には風の種類だけで2000種類以上あるらしいです。
方言みたいなものだったり、漁師や農民の言葉だったり、色々でしょうが。
それくらい日本人というのは自然の微細な変化に敏感で、それぞれに情緒溢れる名前をつけてきたのです。
そのような繊細な文化が失われていくのは恐ろしいことです。
僕がすぐに言えるのは「空風」「つむじ風」「木枯らし」「春一番」「空っ風」「突風」「そよ風」くらいですが、これらの言葉がなくなって、全て「風」になっても誰も不便しないでしょうが、やはり寂しいですね。
さて、それでなんで「2月11日」の記事でこんなことを書いているかなのですが。
このときもですね、娘との間でこんな会話があったのです。
父「今日は何の日か知ってるか?」
娘「えーっと。建国記念日」
父「惜しい。建国記念の日ね」
娘「細かいなあ」
僕が細かいんじゃなくて、お前が大雑把過ぎるの!!
なーんて。
この意識の差はなかなか埋まりません。
ところで、大雑把な世界とはちょっと違いますが。
襖、障子、鴨居、敷居、畳、土間、縁側、長押、柱、梁、桁、床の間、上がり框。
こういう日本建築の言葉。
これもこれから急激に失われていきそうですね。
新築からは和室がほとんど消え、学生アパートもフローリングばかりの時代ですから。
襖と障子の違いが分からなかったり。
畳という言葉は知っているけど、触ったことはない。
なんて子どもが現れたり。
実害があるわけではないのですが、やはり文化が廃れていくというのは悲しいことです。
そして、文化を大切にするということは、つまりは言葉を大切にすることだと思うのです。
なるべく正確な、美しい日本語を使っていきたいものですね。
(といっても、一方で、日本語の乱れを糾弾する人たちも苦手です。彼らは「言葉が生き物であること」を忘れています。言葉が生き物でなかったら、我々は現在でも古文調で喋らなければなりません)
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● COMMENT ●
九州熊本にて設計事務所を営んでいます、古市(フルイチ)と申します。普段住宅専門に新築、リフォームを設計していますが、ひょんなことからこちらのサイトを見つけました。今回のブログに書かれている言葉についてはぼくも普段から注意していることです。
特に、お客さまとの会話では意識的に専門用語を使います。野人さん、先の古民家野郎さんのおっしゃる通りです。いい家をつくりたいと願うもの同士が同じ言語(建築の専門用語)が使えないのは致命的です。だから、素人にも分かり易い言葉に返還するのでなく、単語を伝えてその意味を分かり易く教える。こういうやり方の方がいいと思っています。
突然のコメント失礼しました。今後も楽しませて頂きます。ありがとうございました。
大工さん等に渡したいと見積明細自力作成の最中、
相変わらず建築用語、差鴨居やら式台やらやらやらやら分からずに検索しておりました。
その道程、
職人さんが主役(?)の国産無垢材による木の家についてのサイトにぶつかりました。
そこで目に留まった記事の内、
刻み用電動工具が製造中止になっているお話がありました。
野人先輩は建築用語の面にて触れておられましたが、
伝統工法用の電動工具では実際に消えていっているようで…
手刻み大工さん達が危機感を抱き、
大手ではないメーカーに製造をしてもらえるよう動いておられるそうです。
職人さんや建築士さん、学者さん等で伝統工法の再興活動を行い、
実際に行政を動かしたのでしょう、建築基準法で伝統工法の存在が一部認められたようで。
また、伝統工法を無形文化遺産登録を目指す活動をされておられる団体も。
住まい手である一般人でも、
伝統工法家屋を維持しようとするだけでなく、新築をされる方にも少なからずお目にかかりました。
そんな伝統工法への機運が高まりそうな気もしておりますが、
でも現実には、急速に失われていっている事を電動工具の話で再実感いたしました。
拙宅改修の大原則「数百年は使い続ける」、
これを踏まえた改修に成功したとしても、
維持してくれる施工者や道具や材料が残っていなければ、残っていても高額で賄えなければ…
このままだと用語も含めて確実に消えて行きそうですよね。
必要とされないものが淘汰されるのは世の常で、
それ自体は否定する気はないですが、
拙宅の事を思うと切実な問題になりそうな…
まぁ、既に拙宅改修の若い左官屋さんは、
「土壁は買うものでどうやって作るのか知らない」
「黒漆喰は樹脂塗料で色付けするもんだ」
とのたまうので、施主力が問われそうで困惑中ですが。
無形文化遺産登録活動に参加しようかな…
Re: タイトルなし
仰るとおりで、漢字の移入というのは、他文化の吸収・応用を得意とする日本人の最高傑作だと思います。
特に、表意文字である漢字から、表音文字のひらがな・カタカナを作り出し、さらにそれら全てを使い分けているというのは凄いことだと思います。
建築用語は自分なりにも勉強しました。
本当に基本的な言葉から言えば「大引き・根太・母屋・垂木・木舞・貫・楔・鎹・玄翁・石頭・掛矢」など。
一つ一つの言葉が新鮮で、かつ響きがとても美しいと思いました。
自分が建築用語をちゃんと使おうと思っているのは、その響きの美しさにほれ込んだからです。
一方、記事に戻りますが「襖、障子、鴨居、敷居、畳、土間、縁側、長押、柱、梁、桁、床の間、上がり框」くらいは建築用語というよりは、一般的な日本語として、日本人なら当然の如く使えて欲しいのです。
んー。
「長押、床の間、上がり框」はちょっと難しいかもですね。
建築の話に戻りますが、やっぱり言葉や知識だけでは足りないんですよね。
経験がないと。
だから大工さんと打ち合わせをして、いくら言葉が分かり合えても、お互いの頭の中に違う図面があることが良くあります。
そういう時はお互いに柄で書いて説明するのですが、それでも描画力と想像力に限界があって。
結局手探りで進める中で「あの時大工さんが言っていたのは、こういうことだったんだ・・・」と気付くことがあります。
このあたりは、経験に欠ける素人の難点だと思います。
Re: タイトルなし
始めまして。
コメントありがとうございます。
本職の設計士さんにコメントを頂くと、緊張しますね!!
ホント、皆さんの仰るとおりで。
特に家作りの場合は、施主と施工者(設計者)の共同作業ですからね。
遠慮せずに、かつ丁寧に専門用語を使われた方がいいと思います。
「そんな専門用語なんか興味ない」って言う人は、きっと設計事務所に依頼するのに向いていないんでしょうね。
自分も今回の古民家再生で出会った美しい建築用語を大切にし、せめて家庭内だけでも普及させたいと思っています。
コメントありがとうございました。
また設計士目線でお気づきのことがあればお教え下さい。
Re: タイトルなし
「刻み用電動工具」と言われていまいちピンと来なかったのですが、調べてみて分かりました。
なるほど。
廃盤だったり、マイナーだったりはするけれど、そのような電動工具があるんですね。
そして、刻みをなるべく少ない人工で納めるためにも、そのような電動工具が必要だということもわかります。
それで、調べてみるとやはり動いているのは「木の家ネット」なのですね。
以前に古民家野郎さんに推薦しましたよね。
あゆみ大工さんも登録しているところです。
ずっと前の
http://zenhankai.blog.fc2.com/blog-entry-515.html
こちらの記事にも書いたことなのですが、現在の資本主義のやり方ではお金だけがぐるぐる回る中で、伝統や文化は確実に磨耗していきます。
その伝統や文化の変わりに時代の空気を作り出すものは、たんなる「流行」であり、これは蓄積がされずに、流れ去ってゆくのみの存在です。
「流行」は金儲けのために誰かが仕掛けているものですから。
それら伝統建築を守るために一番効果があることは、僕達のような志あるものがきちんと伝統工法の職人さんにお金を払うことなのですが・・・。
残念ながら、僕達のような志あるものって、大抵お金がないんですよね(笑)
「木の家ネット」、ご推薦頂いてましたか!?
すみません、失念しておりました。「俺が見つけた」みたいな書き方していて恥ずかしい…
大阪府在の工務店さんは、
こちらのサイトとは関係なくたまたま候補に挙げていた所なので良かったですが、
そうでなければ大後悔してましたよ…
(あゆみ大工さん、拝顔!)
いつもの私事話ですが、
当方の建築士さんにやはり左官屋さんは別途ご紹介頂けないか、
とお願いし、今度お会いする事になりました。
以前、遠さを理由に熟練大工さんに断られた事がありますが、
この左官屋さんは、
「土壁の良さの理解者を増やしたい」との事で前向きに捉えて頂いているようです。
こういう方にお金をお渡しする事はその労力や技術への通常対価だけではなく、
技術等の継承への投資にもなりそうで払い甲斐がありそうです。
んまぁ、こんな偉そうな事を書きながら、
お察しの通りお金はそれほど無いんですけどね…(苦笑)
私は、今の資本主義に色々問題はありますがそれは仮置きして、
金儲け主義は伝統や文化の摩耗もさせる一方、
金儲けした人による伝統や文化の構築や維持もあるかな、と思ったりします。
(野人先輩の論の本質から外れているかもしれませんが)
「流行」に乗る一般庶民は、
日常的に伝統や文化を意識せずに過ごしているかもしれませんが、
その伝統等への無意識下の日常が積み重なった結果、伝統や文化になったものもあるでしょか。
また、「流行」を創ったりなどして金儲けした昔の人が、
その財で今に残る建築物を含めた伝統や文化を支えた側面もかなりあると思っています。
私が思うのは、
経済活動という営みは人間の本質と直結していて、
ではその本質はというと、昔も今もさほど変わらないと考えております。
野人先輩の論に反するつもりではありませんで、私はそれへの付加事由として、
資本主義効果として経済活動のサイクルが早くなった事が挙げられるかな、なんて思います。
と申しますのも、
サイクルが早くなってしまった事で摩耗と構築のバランスは崩れ、
摩耗の方が強くて伝統文化の構築は難しくなったのでは、と。
川で例えるなら、
昔より流れが速くなった結果、山の栄養ある土砂が周囲の土地に堆積しなくなった。
こうなると、
田畑の土の自力生産力は落ち、肥料と薬で維持しないといけなくなっちゃう、みたいな?
建物で言うなら、
現代のお金持ちが権勢を誇示するような豪邸を建ててくれても、
それが数百年後の日本に、今を伝える伝統文化的なものとして残ってくれていないんじゃないか、
という事はずっと思っています。
昔のお金持ちが財に任せて意識せずとも残せたものが、
今のお金持ちは意識高く工法や設計者や施工者を選んで建ててくれないと、
数十年後には取り壊しとかになりそうで…
日本のお金持ちには日本の伝統工法に大金を使って頂きたい、僕らに代わって!
と最後に、他人様のブログのコメント欄で、
持論を展開してしまいましてご容赦頂ければと思います。
Re: タイトルなし
こんにちは。
返信が滞っていてすみません。
卒業式が目前まで迫っている上に、こんな時期に親知らずまで抜いてしまって、なんか発熱中です(汗)
ブログのほうは書き溜めた予約投稿でお送りしております。
「木の家ネット」の件は一応こちらでご紹介しています(笑)
http://zenhankai.blog.fc2.com/blog-entry-768.html
僕もそうですけど、毎日いろんな人といろんなやり取りをしていますので、そういった記憶の取りこぼしはつきものです。
どうぞ気になさらないでください。
ベテランの左官屋さんに入ってもらえそうですか?
羨ましいです。
なかなか見つかりませんし、あ、うちの場合は見つかったとしても人工代が尽きていました(汗)
うーんと。
資本主義というと随分と意味が広がってしまいましたね。
社会主義(共産主義)ではない経済体制はすべて資本主義ともいえますし。
僕の言いたいのは狭義での高度資本主義あるいは商業主義、古民家野郎さんの言うような「金儲け主義」という言葉でもいいです。
そのようなものがもたらす文化の磨耗です。
>「流行」を創ったりなどして金儲けした昔の人が、
>その財で今に残る建築物を含めた伝統や文化を支えた側面もかなりある
というのは、ちょっと疑問だと僕は思います。
高度資本主義になる前は、流行というのは作られるものではなかったですから。
江戸~大正期にかけては、文化人というのは大して金持ちではありませんでした。
江戸時代にはたくさんの文学が書かれて、読まれていますが、原稿料で生活できた職業作家といえば十返舎一九(江戸後期)以降と言われています。
最近のニュースでは夏目漱石の『坊ちゃん』の原稿料が、今の物価では50万円程度だったというのが載っていました。
もちろん文化というのは文芸だけではありませんし、お金持ちになれた文化人もいたかもしれませんが、基本的に「流行を創ること」は金儲けにならなかったのだと思います。
文化を下支えする庶民の感覚としても、例えばルネサンスでは「人間の再発見」、江戸では「粋」という、金銭とは異なる価値観があったのだと思います。
では何がいけないのかというと、古民家野郎さんが仰るように時代のスピードだと思います。
時代というのは流れるものでもありますが、一方で蓄積されていくものでもあります。
仰るとおり、スピードが速すぎると堆積しにくくなるのだと思います。
お金持ちが文化財を造ったり守ったりというのも、昔はありましたが、現在ではどうなのでしょう。
あまりそのような作用があるとは思えません。
この辺は憶測です。
自分はお金持ちではないですし、お金持ちの友達もいないですから(笑)
ただ、こと家作りに関して言うと、いくら大金をはたいて豪邸を建てた所で文化的な価値は出ないと思います。
とか思いつつ、推測だけで物を言ってもしょうがないので、ネットで日本の豪邸を調べて見ましたが、案の定、鉄筋コンクリートの家ばかりですね。
広い開口や空間が作れたり、設計の自由度が高いからでしょうが。
この時点で文化財として残ることは難しいと思います。
お金は掛かっているでしょうが、デザインは凝っているでしょうが、こだわっているでしょうが、単にそれだけです。
この件に関しては、現在の方が分が悪い点がありまして。
例えば江戸時代の家で「どこそこから木材を運んできた」といえば、そのこだわりや苦労がうかがい知れ、そこに文化的なつながりを見出すものですが、現在の家で「どこそこの大理石を輸入した」といっても単に「お金かけたね」程度のことでしかないのです。
時代のスピードが、そうしてしまいました。
そしてさらに、本論からは若干逸れますが、現在は多様化の時代です。
「みんな違って、みんないい」の旗の下に、いろんな文化や価値観が入り混じっています。
それはモザイクのように細かく入り乱れ、玉虫のように見る角度によって変色し、そしてカメレオンのように色を変えていきます。
そのモザイク状の文化の上を、流行という風が吹きます。
去年は「アナと雪の女王」などというものが流行したらしく、ラジオでもたくさん流れていましたが、年が変わるとともにぴたりと聞かなくなりました。
あれは一体なんだったのでしょう(笑)
それもそのはず。
商業主義においては流行の流れは速いほど儲かるので、それを蓄積させることの必要性がほとんど無いからです。
ルーズソックスの文化は一気に廃れ、紺ハイソックスの時代へと一気に移りました。
この流れはルーズソックス流行の遥か前から書かれていたシナリオです(ちなみにそのシナリオには、紺ハイソックスの次の流行までちゃんと書かれています)。
靴下を作る側も、売る側も、紺ハイソックスに統一できれば助かります。
ルーズソックスの価値観が継承されたら、むしろ困るわけです。
これが商業主義の中に潜む合理化の流れです。
僕達はこの合理化の中で多くのものを失ってきました。
長くなりましたね(笑)
というわけで僕自身は『脱商業主義』を目指して、古民家再生を続けているわけです。
古民家野郎さんとは美味しいお酒でも飲みながら、こういった話で語り明かしたいですね☆
例の柱の話がうまく進んだら、伊那谷に来ていただけそうなのですが・・・。
ご体調がよろしくないにも関わらずご返信を…
どうも有難うございます。
しかしお陰様で、
やはり大きな相違はなく同じようなお見立てをされている、
と私はお見受けいたしました。
野人さんは、流行を意図的に起こす側からの論であり、
私は、流行を受ける側の今昔の人間側からの論、
と見方の違いぐらいとでも申しましょうか。
ちなみに、
私が思います昔の金持ちについての立場は、パトロンの意味合いでした。
公の為にか、私の為にかいずれにしろ、
その行為が意識的にか、無意識的にか、
伝統文化の維持・構築に直接的に結びつきやすかったんじゃないかな、なんて。
これらの事例を挙げて行けば、
ほんとに止めどなくなくなってしまうので割愛させて頂きますが、
こう思い始めた、強く思い始めたのは現在の伝統工法の拙宅に出会ってからです。
野人さんなど、ハナから住まいを伝統工法家屋などに定めていた方々からすれば、
「脱商業主義」など意識する事ない、所詮はニワカモンの庶民かと思います。
でも、卑下をするわけではなくこういうニワカモンであっても増えて行けば、
それは伝統文化の維持へ自然に繋がっていく、という想いを後付けで抱くようになりました。
これらを語り合いますと、一升瓶では間違いなく足りないでしょうねぇ。
お邪魔する事に至りましたら、
神戸は灘の酒や河内ワインなど複数本は持参しないといけませんね(笑)
Re: タイトルなし
ああ、やっと分かりました。
パトロン的な意味合いでしたか。
しかし現在は、パトロンをやってくれるお金持ちもいなくなりましたね(笑)
ニワカモン云々は・・・、あまり考えても仕方ないので置いておきましょう(笑)
僕だって再生しながら勉強したこともたくさんありますし。
そもそも、貧乏人が庄屋さんの家を買って再生して維持しようなんて、身の程知らずなわけでして、そのせいで今苦労しまくっているのは当然なわけです。
だから身分違いであろうと、ニワカモンであろうと、日本文化を守るためなら力を尽くそうではありませんか。
大賛成です。
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これらそれぞれに含まれているモノには、
個性や意味、用途、歴史等々を表すものと考える私も「細かい」部類の人間でしょうかね(苦笑)
ついでに申すなら、
漢字が日本に入ってきた頃の音としてだけの使用法を継続したり、ひらがな、カタカナだけを使う、
という事をせずに漢字一字だけで意味があるその特徴を、
日本語に取り込んだ昔の日本(の知識)人に聡明さと繊細さを感じます。
以前コメントに、
野人先輩は部材や箇所の名称を習得されている事に感嘆した旨を書かせて頂きましたが、
建築現場に限らずそれにより、
他者との意志疎通が細かい所まで出来るようになる基本的な事であり、大事な事だと思います。
正確な言葉を知っていて使えれば、
ジャンル違いの他者との垣根がぐっと下がらないでしょうかね。
仲間内や同世代だけで通じる言葉も長所なりがあり良いと思いますが、
それ以外の人達との意志疎通がいざ必要になった時の為の言葉を知っている人は、
年齢の低い人には「大人」、高い人には「聡明」、仕事レベルでは「出来る人」等と思ったりします。
そんな私は、
「大人」として至らない所があり、「聡明」とはとても言えず、「出来る人」を遥か見上げる位置にいて、
分離発注、かつ施主設計&支給&施工に難義しておるこの頃です… はぁ~