不登校中に見ていたテレビ - 2017.10.23 Mon
小学校2年生から5年生にかけて断続的に不登校していた野人少年ですが、では不登校中には何をして過ごしていたでしょうか。
実はその中に自分の原点があったのです。
時は少し遡って、今年の3月。
当時2歳だった長男はおたふく風邪(疑い)で、僕はその看病をしていました。
病院に連れて行って、帰宅して、それからは特にやることも無くて。
本人は少し痛がっているし、熱も少し出ているけれども、寝込むという風でもなく。
僕が家事をしている間、テレビを見させていました。
まあ、それからも、ご飯を食べたり、少し寝たり。
その合間合間でテレビ。
ワイドショーなんてしょうもないから、教育テレビ。
それがまあ、なんとも素敵なラインナップで。
午前中の教育番組から始まり、午後は大人向けの講座。
料理(エビチリ)・手芸(フェルトを使った小物作り)・園芸(家庭菜園)と、いろんな番組が続いていました。
僕の中に思い出し、ひらめくものがありました。
そう。
僕は不登校中にこういう番組をずっと見ながら過ごしていたのです。
なにせ、エネルギーの余っている子どもですから、見る番組見る番組で「やってみたい!!」なんて思ったり。
実際に海苔入り卵焼きなんてその場で作って、仕事から帰ってきた母親を驚かせ(呆れさせ?)ました。
そうやって僕は、いろんなことに手を出し、挑戦する子どもになっていきました。
料理も、小学生時代から随分とやりました。
餃子なんかは小学校5年生で既に作り、中学校3年生で我流坦々麺を完成させました。
(この坦々麺はラーメン屋時代には、お店の看板メニューの一つになりました)
嫁さんの誕生日プレゼントに作ったレザークラフトの財布も、今やっている古民家再生も、家庭菜園も、思えばみんなこの頃にルーツがあります。
それはいわば「自分でやってみる」という姿勢です。
そう考えると、不登校していてよかったなと、つくづく思います。
ネット環境は与えちゃ駄目ですよ。
必要なのはエネルギーと好奇心です。
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